ドイツ・フランス留学
当時、学問芸術研究の中心は西洋にあり、多くの日本人留学生がいた。中心都市には日本人 学生のたまり場(コロニー)ができ、加藤照麿、長与又郎、南部孝一等がリーダー的存在で 歓送迎会や情報交換の場となった。明治三十九年に初めて米欧に私費留学する二十四歳の高村光太郎は「世界中が新鮮だった」と記憶する。大久保榮もまさにベル・エポックという時代感覚のなかにいた。ドイツ、フランス人からの葉書は80枚余、日本人留学生から200枚余。恩賜の銀時計組みの大久保榮はたちまちのうちにヨーロッパの留学生仲間、知的選良たちの新しいシンボルとなった。
明治39年(1906年)二十八歳
1月28日 大久保栄君の卒業宴会。在東京にて
両国の伊勢平元の中村楼にて。四百人、大学其外より参り、井伊の芝居 あり、長うた其外をどり等九時頃に帰宅
(『森鷗外・母の日記』P202)
7月10日 東京帝国大学医科卒業
恩賜の銀時計頂戴す。(卒業生総代として森鷗外作成の謝辞を読む。)
(『森鷗外・母の日記』P233 )
7月16日 故郷にて、醫学士大久保栄君送別會。在大野村にて
揖斐郡大野村有志106名、内93名出席。
東京帝国大学文科大学生 楠基道の祝辞
「醫學士大久保栄君文部省海外留学生ニ命ゼラレ不日其途ニツカレントス吾人 君ト郷ヲ同シクスルモノ・・・」
日本郵船「神奈川丸」欧州航路
7月25日 横濱出港 見送りに潤三郎、於菟、上田定雄(実弟)行く 『森鷗外・母の日記』
※日本郵船欧州航路「神奈川丸」に乗船。切手:内国壱銭五厘 外国:四銭
7月28日 大久保の葉書来る 『森鷗外・母の日記』
7月29日 今朝、門司へ上陸する(福岡西公園、肇宛ての絵葉書):門司泊
7月30日 上海へ向けて出発
8月 1日 午前十一時上海に着。上陸、熱ツ。奈良漬けで茶漬けを食いたく候。
※埠頭雑踏の写真葉書:金利源碼頭の文字あり。日本船籍内の葉書投函は内国 扱いか、切手大日本帝国一銭五厘
8月 3日 上海出港
8月 6日 午後二時○に香港に着。海上は平穏、華氏85、6度の意外の低さ。
※香港島のカラー絵葉書 切手香港FOUR CENTS
8月12日 シンガポール 華氏90°~95° 涼し
8月17日 今朝、九時にペナン港に着。 真黒なる土人この小舟を操りつつ来る処は中々歓ものに候。
※ペナン島の絵葉書
8月18日 コロンボに向け出港
8月24日 セイロン
8月○○日 セイロン:キャンディ
9月17日 列車移動(リヨン泊)
9月18日 列車移動(ストラスブルグのホテルナチオナルに投宿)
※ストラスブルグは本来フランス領土であったが1870年の普仏戦争でプ ロシア軍(ドイツ)に敗れドイツ領となった。
9月19日 下宿先で異国生活を開始
・『峰子の日記』によれば8月26日付で大久保榮に手紙を出している。森家は大久保榮のドイツ滞在先の住所が分かっていたのか、峰子が早々と手紙を出す。
※外国郵便事情:船便(欧州航路)で所要日数は約33日間。他に太平洋(アメリカ)経由、シベリア鉄道経由(27日間)。
・大久保榮のドイツ留学スケジュール詳細は、ウイーン滞在中の南部孝一が把握し、神奈川丸の寄港地ポートサイドへ送付。送付先は神奈川丸乗船の日本人事務長を介して大久保榮に手渡される。
・日本船籍の欧州航路に「神奈川丸」(日本郵船)「鳳山丸」(大阪商船)「土佐丸」「安芸丸」「丹波丸」「若狭丸」などが就航していた。
ドイツ留学時代
大 學:ストラスブルグ大學
下宿先:fei frau Selle Stimmershasse 5 Strasburug Dechland 独乙国ストラスブルヒ市スチンムメル街ゼルレ夫人方
当家は十二年以来日本留学生を世話いたし○○、夕食には「飯」をだし○○候・・・
明治39年9月18日葉書
大 學:ミュンヘン大學
下宿先:ランドエエル街 Landwehrstrasse 58, München
フランス留学時代
パスツール研究所
下宿先:ehez madame Schmidt 19 Rue Brunel, Paris
「第十六回万国連合医学會」
明治42年9月01日 榮ブダペスト→ 肇
「第十六回万国連合医学會」に列席す。外国人五千人以上、日本人四十人。来る日、伊太 利亜へ参る。宮殿にて歓迎会、北里博士、大沢博士、伊藤博士(京都)それぞれ講演、小生 は明日午後。次回学会はロンドン。
列席者の一人、山谷徳治郎の報告によれば外國の學會に日本人が五十三人も出席したことは 空前の事ならんと記す。
『楽堂古稀紀年集』(P149)
「第十六回萬国醫學會雑観」
研究論文(1)ドイツ語
Zur Kennthnis der Embryome des Hodens
von Dr.Sakaye Ohkubo Tokyo Japan
(Aus Prof.Chiaris pathologischem Institut an der Kaiser Wilhelms-Universitat zu Strasburg i.E)
Leipzig 16 Juli 1908
※表紙に、父上の膝下に呈す。という榮の自署
研究論文(2)ドイツ語
SAKAYE OHKUBOS
HINTERLASSENE
MEDIZINISCHE ABHANDLUNGEN
Herausgegeben von Mataro Nagayo
Tokyo 1911
※大久保榮遺稿集として長與又郎・太田孝之・小金井良精の手によって刊行