参考資料等

国登録有形文化財

北岡田家住宅


北岡田家住宅 主屋正面
北岡田家住宅 主屋正面

 

 北岡田家は、江戸時代は大垣藩領相羽村の庄屋や段木御用の土場船方取締役を務め、苗字帯刀を許されていました。所有する広大な農地と河川交通で財を築き、明治時代には戸長などを歴任するとともに南岡田家とともに段木会社を設立するなど、地域で重きを占めました。

北岡田家住宅は川石垣を土台とする高い瓦葦塀に囲まれた3,882.6㎡の広大な敷地に、庭園、主屋、離屋、米蔵、道具蔵、納屋等が配され南北に門を開く大規模な邸宅です。5代当主岡田善麿が30年の歳月を費やして完成させました。

手を尽くして集めた最高の資材を用い、名匠と知られる職人に造作させた当地における近代和風建築の意匠・技術の到達点を示しています。

平成24年8月13日、主屋が「上質な造作と豪壮な屋敷構えをもつ近代和風建築」と評価され、国登録有形文化財に登録されました。庭園・表門・塀は、平成15年10月20日に大野町史跡に指定されています。

平成27年3月9日、大野町の所有とし、永く保存・活用を図ることになりました。

 

【主屋】

 地元の名棟梁、松浦浩之助氏により、大正5年(1916)に起工し、同7年に竣工しました。屋根切妻造瓦葺2階造の建物で、正面右寄りに入母屋造瓦葺の客用玄関「式台玄関」が突き出します。建築面積431.95㎡、大小17の部屋を有するなど規模が格段に大きく、45cm角の大黒柱をはじめ、太くて曲がった黒い梁などによる架構、48cm × 17.5cmもある差鴨居など、木割りが太く構造的にも安定しています。

「仏壇の間」折上小組格天井のように最高の造作が行われ、南西奥15畳の「座敷」の付書院西に設けられた庭園を望む大きな窓や、採光に配慮した多くの天窓、棟の東西に設置された避雷針など、時代を反映した意匠も随所に見られます。このほか、式台玄関の右手「表口」に当時のまま遺されている両開戸、押上げ式大戸なども貴重です。

 

【庭園・表門・塀】

 敷地全体が道路より約1.5m盛土され、その周囲を玉石積の石垣と瓦葺の板塀が巡っています。明治45年から大正3年にかけて松浦浩之助氏の手により建築されました(南~西の約107mは町史跡)。表門も松浦浩之助氏の作で、明治42年に建築された瓦葺の槻(けやき)造門です。

 

庭園は約1,300㎡、見延の名庭師 松尾十一氏により明治44年から大正2年にかけて造園され、昭和35年頃、松田松次郎氏によって現在の姿に整備されました。築山の最高所と地底の高低差は5.5m、3mを超える落差の滝も設けられ、池を中心に数百の庭石、150余の樹木、16基の石灯籠が配されています。この庭は灯台躑躅(どうだんつつじ)の紅葉の見事さで知られています。

 

 

【離屋・渡り廊下】

 離屋は木造平屋建数寄屋造建物です。当初建築は慶応3年頃ろ推定されています。東南に茶室、その北に水屋が配されています。北面廊下の東端から渡り廊下を経て道具蔵へ向かうことができます。

 

【道具蔵・北納屋・裏門】

 道具蔵は外観1棟ですが、大正元年と昭和8年に建築された2棟の土蔵を昭和9年につなぎ合わせたもので、土間にはそれぞれの蔵の扉が開きます。通りに面した西・北の外壁は上部は白漆喰塗で小窓が開き、瓦葺の庇が突き出す様は、この地域を代表する景観になっています。

北納屋は玉石垣の上に基礎を置いて建築されている2階建ての物置で、内部は4室に分かれています。外観は塀の一部のようで、裏門への景観上のアプローチを形成しています。昭和9年頃の建築です。

裏門は内側に控え柱のある四脚門で袖には通用口が設けられています。北岡田家の建物の中では古いものいわれており、明治末年の建築のようです。

 

【米蔵・東納屋】

 米蔵は表門東の高い玉石積の上に建築されていて非常に目立つ建物です。大正元年に建築です。現在はカラートタン貼ですが元は白漆喰塗の土蔵でした。東納屋は昭和初期頃の建築で、のちに東・西に増築され、大きく張り出した軒庇で米蔵とつながっています。