大久保榮研究

最後の絵葉書


ミレー「晩鐘」 (アンジェラスの鐘)

 

明治43年3月30日付  榮パリ→肇

 

「謹啓 追々あたたかくなりゆき候 皆々様御壮栄大慶のいたりに存候 小生至って健全愉 快に研究いたしおり候 但し近は右足のパナリチウム(つま・○○)にかかり一週間許り休 校いたし候 其間二三の報告を論文にとしたため候・小生の帰国も年内に迫り来年の正月は 日本にて出来るとたのしみおり候・留学期は九月中旬までなれど英国における癌腫研究所の 取調べ方を文部省より依○(嘱)され候まま多分十二月末になることと存候 渡英は七月下 旬の筈、日英博覧会も見れる事に候 善麿さんなども小生滞英中来て見ればよいがなど考え おり候 帰朝はシベリヤ鉄道、ロシヤより東京まで十七日間に候 北さんへも南さんへもよ ろしく。博士論文英国より提出してみんかと考へおり候 至急なさねばと思い候」

原文翻刻(北岡田家:岡田和幸氏)

 

* 日英博覧会:1910年5月14日~10月29日

 

* 善麿さん:北岡田家の当主岡田善麿、南さん:南岡田家

 

* 北岡田家は江戸時代に大垣藩相羽村の庄屋や段木御用の土場船方取締を務め河川交通で財を築いた旧家。主屋は平成24年8月13日、国登録有形文化財に登録された。平成27年3月9日、主屋、庭園を含め大野町に寄贈。

 

* 大久保榮は養家大久保肇(西黒野、大久保医院)に帰郷しては、南・北岡田家で馬を借り生家(西郡村)を訪れている。大久保家と南・北岡田家は代々の姻戚関係を有する。大久保家では大久保榮との結婚を期して南岡田家から養女(許嫁)を入籍していた。大久保榮の留学を直前にして小金井田鶴子と婚約にあたり物議を醸した。この経緯は鷗外母峰子の日記に詳述されている。(明治39年6月3日)

 

 


知的コロニー絵葉書(歴史)は語る

ゲルニア會に集う知的コロニー

明治40年4月25日(ストラスブルグ)

 

ストラスブルグの名門料亭 クロコディールに集った留学生達の自署

 

 

現在のクロコディール ストラスブルグの一流レストラン

壁面に当時を偲ばせる絵画