大久保榮研究

森鷗外等関係史料


 

医学研究の他に文学的センスもあった大久保榮のことゆえに、たくさんの往信記録として の書簡類があったものと想像できる。岐阜県揖斐郡大野町は戦争での焼失を免れたことから旧家にはそれなりの保存が可能であった。しかし時世の推移で廃棄されたものも多い。南岡田家、北岡田家の歴史的文書類は現在のところ大野町に収蔵されている。この方面から新たな資料 の発見もあり得る。閲覧は大久保家所蔵資料。

 

 

東京帝國大学在学時代 

下宿先は帝大の友人太田孝之の実家、森鷗外の居宅「観潮楼」に寄食

●大久保榮から大久保肇(岐阜西黒野)宛て書簡10通

 

●日露戦争従軍中の森林太郎が千駄木観潮楼留守居役の大久保榮に出した軍需郵便葉書

 →「明治38年10月21日」 和歌に《帰休庵》の自署あり

 →「明治38年11月25日」 和歌に《源高湛》の自署あり

 

海外留学時代 

●父母宛 海外名所絵葉書など 84枚

 → 学会、休暇で欧州各地を旅行した際、両親に名所旧跡を紹介

 

●鷗外の母(峰子) から大久保榮(ドイツ:ミュンヘン)宛て書簡1通

 →「明治42年9月28日」(「峰子の日記」には未掲載)

 

●森於菟 8枚(←東京帝大入学報告などの近況を知らせた葉書)

 → 鷗外の代理で、鷗外作品『假面』の瑕疵二点を修正したことを報告する葉書(「明治42年6月27日」)は新資料として既刊の『鷗外全集』に影響を与える。

 

●小金井喜美子 ( 鷗外の妹):確定できないが和歌の応答などの葉書数枚

 

●小金井田鶴子 1枚(←日本)「明治43年1月3日」 新年挨拶

 

●長與又郎 6枚(←リヨン他) 長與又郎は大久保榮の一級先輩で、昭和九年には東京帝国大学第十二代総 長となる人物。

 

●太田孝之 4枚(←日本):大久保榮の遺稿集を長与又郎と刊行する。帝大同窓の親友。

 

●小山内薫 6枚(←日本) 日本の近代演劇「自由劇場」(Freie Buhno)を旗揚げした。イプセン作・ 森鷗外訳『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』試演にあたりドイツ演劇事 情(舞台装置など)をミュンヘン滞在の大久保榮に照会。小山内薫が読売 新聞に「大久保医学士の手紙」を掲載。

「明治42年5月3日」「明治42年7月4日」

「明治42年12月19日付読売新聞」大久保医学士の手紙 

 

●青木龍男 5枚(←日本)東京帝大の同窓生、佐藤外科医局に在籍

 

●南部孝一 4枚(←ウイーン他)ドイツ海外留学生のリーダー的存在

 

●長谷川喜多子 21枚(←オックスフォード他)

 

●堀内和子 29枚(←ケンブリッジ他)

※この二人の才媛(長谷川、堀内)はオックスフォード、ケンブリッジ大学に留学していた。イギリス各地からのレポートそれに牛津剣橋両大学の雰囲気などを明治知的女性特有のセンスで伝えている。

 

 

 

海外留学事情:私費留学ともなれば多額の資金を要することは明らか。欧州航路かシベリア鉄道か、入学資金、滞在費等よほどの財政的支援がなければ成就できなかった。公費留学か私費留学か。異国での青春奔流、留学生の風評、帰国後の動向など興味はつきない。「鷗外日記」によれば、鷗外がフランス(パリ)に渡航する与謝野晶子に旅費等として金千圓を援助している。今に換算すればいかほどの大金か。よほどの秀才(恩賜の銀時計組)か前途有望な軍人か政財界の御曹司か資産家の子女かいずれにしても海外留学は狭き門に違いなかった。

 

 


当時の時代風景を写す絵葉書

◎明治39年10月狂言 O.KAWAKAMI渡欧紀念刻印絵葉書

(川上正劇 祖国、貞奴肖像写真葉書)

 

◎山梨県主催一府九縣連合共進会の祝賀記念絵葉書

 明治39年11月1日 青木龍男(東京)→大久保榮(ミュンヘン)

 ※青木龍男は東京帝大医科の同窓生で帝大の佐藤外科医局に在籍

 

◎東京勧業博覧会第一会場水晶館の絵葉書(明治40年)

 

 

◎第六回紅葉祭り紀年葉書 (尾崎紅葉の墓碑写真)

 明治41年10月6日 小山内薫(東京)→大久保榮(ミュンヘン)

 

◎日露戦役救援紀年 戦地に於ける捕虜の救援 戦地に於ける患者のたん送

 明治41年12月30日 津田安真(横浜)→大久保榮(ストラスブルグ)

 

◎米艦歓迎紀年葉書 1908.OCT.VISIT OF THE AMERICAN FLEET

 明治41年10月20日 於菟(東京)→大久保榮(ミュンヘン)

 

◎大角力常設館開館紀年葉書(力士写真)

 明治42年6月12日 西澤貞三郎(東京)→大久保榮(ミュンヘン)

 

◎横浜開港紀年葉書 YOKOHAMA IN 1859

 明治42年7月15日 於菟(横浜)→大久保榮(ミュンヘン)

 

◎明治42年12月19日 小山内薫が読売新聞に「大久保医学士の手紙」を掲載

 ※自由劇場旗揚試演「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」と医学士大久保榮

 

◎両国国技館内部の全景写真葉書 両国国技館四日目観戦

 明治四十三年一月三日 於菟(両国)→大久保榮(パリ)

 

◎岐阜金華山登山スタンプの刻印葉書  明治末の岐阜城風景写真

 明治四十三年七月二十五日

 

 

その他見学の際に入手した冊子資料など当時の時代資料

◎関西府縣連合共進會紀年

 

◎名古屋開催三府二十八縣連合共進會

 金鯱の説明:名古屋開府三百年紀年會

 

◎平和紀年東京博覧會

 

◎京都都おどり

 

◎大島八景

 

◎熱海温泉場 水口圓

 

◎国立公園日光鬼怒川・川治温泉 御案内パンフ

 

◎尾州徳川藩印旗

 

  

岐阜長良川鵜飼の写真葉書(昼景鵜飼は珍しい)
岐阜長良川鵜飼の写真葉書(昼景鵜飼は珍しい)