森鷗外「花子」研究

明治150年「花子」の評価


 

日本から遠く離れたマルセイユという異国の地で・・・大久保榮と太田ひさ(花子)が同時代に遭遇することになる。ともに縁もゆかりもない岐阜県人。太田ひさは帰国後、岐阜市で77歳の生涯を閉じる。大久保榮は大野町(大野町―岐阜市間は約15㌔)の出身。この天地ほどの懸隔の二者が森鷗外『花子』の登場人物となるのはまことに奇縁中の奇縁といわざるを得ない。

「明治150年」という節目にあって、明治元年生まれの「花子」がロダンの関係でもてはやされることに異義は唱えない。花子をデッサンしたロダン渾身の作品「死の首」はたしかに名作中の名作と誰しもが評価するその芸術的価値は計り知れない。ただ、鷗外『花子』の医学士久保田某を実像としての大久保榮と考えたならば、流暢なフランス語を話す知的選良としての日本人が西欧文明の覇者ロダンと対峙するところに鷗外作品『花子』の意義があるものと考える。後進日本がこの1910年(明治 43年)という節目ですでに外国文化を凌いだことを表現するために鷗外はロダンのアトリエでフランス語で思考している。フランス語に翻訳されたならばこの洗練された知的水準の高い医学士の会話は魅力的な人物に映ることであろう。森鷗外『花子』は1910年(明治43年)という近代日本の結節点をパリを舞台に描いたとも解釈できる。「普請中」の日本が堂々と西欧と相まみえるインテリジェンスを確立したという歴史的エポックを大久保榮と鷗外自身を投影した仮想の人物久保田某に負託させたとも考えられる。ロダンが日本人特有の偏狭的な貧相な醜なるものの根底に強靭さを見出す眼識とそれを見逃さない鷗外、大久保の知的教養の葛藤がこの作品の隠されたモチーフではないだろうか。

 

 


 

 

花子(太田ひさ)が 「郷土の偉人?!」

岐阜県の「花子」評価

 

 

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