大久保榮研究

研究年表


大久保榮
大久保榮
岐阜県揖斐郡図(明治40年)
岐阜県揖斐郡図(明治40年)

 

 

姓名 大久保榮(オオクボサカエ)

旧姓 上田榮

 

出生         

明治12年 (1879) 3月22日

岐阜県揖斐郡西郡村瀬古辻於て上田又右衛門の次男として出生 

少年の頃から、隣村の医家大久保肇の養子として育てられる

学業成就のため東京へ出て、郁文館中学に入学

明治30年 (1897) 4月11日 郁文館第五年級卒業 

 

誓詞の契  

明治32年 (1899) 1月3日

上田榮を大久保家 の相続人と定め、大久保榮となる

 

学業    

明治34年7月1日   第一高等学校大学予科第三部医科卒業

明治38年12月25日 東京帝国大学医科大学医学科卒業

明治38年12月25日 東京帝国大学卒業

明治39年7月10日  東京帝国大学卒業式 首席卒業の詔書

※恩賜の銀時計を授与され、卒業生総代として鷗外起草の謝辞を述べる

 

海外留学  

文部省よりドイツ・フランスに四年間の留学を命ぜられる

ドイツ・フランス二カ国の衛生医療研究 

更にパリ滞在中、イギリスに於ける癌腫研究所の調査が命じられた

明治39年 7月25日 日本郵船「神奈川丸」乗船、横濱港を出港

明治39年 9月16日  マルセイユ着港

明治39年    9月  ~  41年    9月 ストラスブルグ(ドイツ)

明治41年10月  ~  42年    9月 ミュンヘン

明治42年10月  ~  43年    6月 パリ

明治43年    7月  ~  43年10月 イギリス(予定)

 

パリにて客死    

明治43年 (1910) 6月11日 留学先の巴里(パスツール研究所)で急逝。病名は腸チフスで当時 流行りの水浴療法が日本人の体質に適さなかったことが因とされる。

(森於菟『父親としての森鷗外』P42 、140)

 

遺品整理  

明治43年11月10日に森鷗外のもとに届けられる。大久保榮の遺物来しを、其養父肇等と開封し、顕微鏡を帝國大學に還し、指 輪を小金井きみ子に還す。

(『鷗外全集第35巻』P502)

 

    



大久保榮の研究文献

研究学術論文 

ドイツ語で二冊。一冊は「大久保榮遺稿集」として刊行。

 

国際医学会     

明治40年9月15日    ドレスデン医学会   

明治40年9月24日    万国衛生学会 松山、遠山両博士

明治41年9月21日 ケルン病理学会 ベルツ博士に会

明治42年5月    4日    ドイツ病理学会(ライプチヒ)

明治42年9月    1日    第十六回万国連合医学會(ブダペスト)*その時の貴重な集合写真が残っている。 

 

第十六回万国連合医学會 Budapest , am , 30 August, 1909
第十六回万国連合医学會 Budapest , am , 30 August, 1909

 

※第十六回万国連合医学會のレポートとして大久保榮の9月1日葉書によれ ば、外国人五千人以上、日本人四十人。北里博士、大沢博士、 伊藤博士(京 都) 列席とある。

 

前列左より3人目が大久保榮

(大久保家所蔵)



交友録

森鷗外観潮楼玄関番時代 

文学関係

上田敏、太田正雄(木下杢太郎)、小山内薫 他

 

森鷗外家族

森鷗外、森篤次郎(三木竹二)、森潤三郎、森峰子、森於菟、小金井喜美子、小金井良一 他

 

東京帝大医学時代

教 授   

青山胤通(東京帝大医学長:鷗外の親友)、 小金井良精(医学教授:鷗外妹・小金井喜美子の夫)、 佐藤三吉(佐藤外科教室)

 

同期生  

太田孝之(医学)、小山内薫(英文学)、青木龍男(医学)、額田豊(医学)、  小島孝幸(医学)、井上成美(医学)、藤浪興(医学)、西沢貞三郎(医学)

 

ドイツ・フランス留学時代

ドイツ

加藤照麿、南部孝一、長與又郎、青木薫、池田廉一郎、伊丹繁、井上達二、内山好十、 佐々木隆興、桜井功、千葉真一、豊住秀人、中山茂樹、中山政男、難波要、額田豊、 野田三郎、布川興策、長谷川基、藤田敏彦、前田松苗、山極勝三郎、安田稔、 吉田坦蔵 等 

 

フランス

森山勇三郎、小島孝幸、岩田一、野村重次郎、山越良三 等  

 

オーストリア

山谷徳治郎、島柳二、吉井丑三郎 等 

 

イギリス

長谷川喜多子、堀内和子 等 

 

アメリカ

今裕 等

 

 

葉書・書簡の往信記録 

大久保家が代々所蔵してきた書簡類は実に500枚を越える。そのほとんどは海外留学時代 の絵葉書で、友人相互の交友関係をリアルに把握することができる。末は博士か大臣かとい われる明治近代日本の若き知的選良(エリート)たちの異国を舞台にした青春ドラマを見る 思いがする。葉書の時系列整理はほぼ確認できたが文面の翻刻は今後の研究課題となる。 

 

 

 

    郁文館卒業證     東京大学卒業(優等生)明治39年7月10日  恩賜の銀時計